節目の“成人”さらなる飛躍へ

 緑の題字で親しまれている「スポーツ報知」は、スポーツ報知西部本社が1998年、九州・山口をエリアに発刊して、3月23日で20年。様々なスポーツや公営競技など、読者が求めるニュースや的確な情報、娯楽などを提供してきた。人で言えば成人を迎え、これを機会に紙面を飾った記憶に残る出来事を拾ってみた。

(記事、紙面写真はいずれも2018年3月23日掲載)


巨人とともに20年

 懐かしい顔ぶれが並んだ。2月10日、巨人の宮崎キャンプ60周年を記念して開かれた巨人とホークスのOB戦。巨人は長嶋茂雄、王貞治、金田正一、柴田勲、堀内恒夫らV9戦士の面々に、栄光を引き継いだ原辰徳、桑田真澄、槙原寛己、松井秀喜――。本紙はそうそうたるレジェンドを多彩な写真や記事で詳報した。

 

 スポーツ報知が九州・山口で発刊して3年目の2000年、夢の対決が実現した。かつて巨人のV9を引っ張った長嶋監督率いる巨人と王監督が指揮するダイエー(現ソフトバンク)が日本シリーズで相まみえたのだ。

 

 9月24日、巨人が先にリーグ優勝してからはON対決の機運が盛り上がり、13日後にダイエーのリーグ連覇で日本シリーズへのカウントダウンが始まり、連日ONや選手の記事であふれた。長嶋巨人が2連敗から4連勝して決着。翌日は一面から10か面を使ってシリーズを詳報、巨人ファンだけでなくダイエーファンにも内容ある紙面を提供した。

 

 その後、バトンを受けた原監督は計12年間で7度のリーグ優勝、3度の日本一を果たし、栄光は高橋由伸監督へと受け継がれた。

 

巨人情報は報知!!

 今季3シーズン目となる高橋監督は、チームスローガン「奮輝 ~GIANTS PRIDE 2018~」を掲げ、「6年ぶりの日本一奪回に向け、チーム一丸となって奮起します」と決意を語る。エース菅野智之、FAで西武から移籍の野上亮磨や、大リーグから復帰した上原浩治、阿部慎之助、坂本勇人、長野久義ら戦力を整えた。スポーツ報知は日本一を目指すチームを、九州・山口のファンとともに支える。

2000年2月13日  長嶋茂雄監督が現役時代の背番号「3」を復活。宮崎キャンプでユニホーム姿を披露した。
2000年2月13日  長嶋茂雄監督が現役時代の背番号「3」を復活。宮崎キャンプでユニホーム姿を披露した。
2000年10月29日  日本シリーズは、ONが指揮するチーム同士とあって全国が注目。巨人が2連敗から4連勝して日本一に。
2000年10月29日  日本シリーズは、ONが指揮するチーム同士とあって全国が注目。巨人が2連敗から4連勝して日本一に。

2002年10月11日 松井秀喜がヤクルト戦で2本塁打を放ち、50号の大台に乗せた。オフにFA権を行使して大リーグ挑戦を表明。
2002年10月11日 松井秀喜がヤクルト戦で2本塁打を放ち、50号の大台に乗せた。オフにFA権を行使して大リーグ挑戦を表明。
2008年10月11日  首位阪神と最大13ゲーム差を追い上げ、9月に12連勝などで逆転に成功。「メークレジェンド」と言われた。
2008年10月11日  首位阪神と最大13ゲーム差を追い上げ、9月に12連勝などで逆転に成功。「メークレジェンド」と言われた。
2012年4月27日 鹿児島遠征で最下位脱出して反攻。セチーム初の交流戦V、リーグ戦、日本シリーズ、アジアシリーズを制した。
2012年4月27日 鹿児島遠征で最下位脱出して反攻。セチーム初の交流戦V、リーグ戦、日本シリーズ、アジアシリーズを制した。
2014年5月6日 入団2年目で開幕投手を務めた菅野智之が開幕6連勝。シーズン12勝を挙げ、リーグ3連覇に貢献してMVPに。
2014年5月6日 入団2年目で開幕投手を務めた菅野智之が開幕6連勝。シーズン12勝を挙げ、リーグ3連覇に貢献してMVPに。


これからの20年も感動を伝え続けたい

地元ホークスに 熱烈エールを

球団誕生80周年

 昨年、2年ぶりのリーグ優勝、日本一となったソフトバンク。福岡に本拠地を移して29シーズンでリーグ優勝8度目、日本一は6度にもなった。

 

 福岡で初めてリーグ優勝したのはダイエー時代の1999年。王貞治監督率いて5年目のこと。大型補強で加入した工藤公康、秋山幸二らや、生え抜きの城島健司、小久保裕紀、井口忠仁、若田部健一、松中信彦らが成長、悲願を達成した。

 

 9月25日、王監督が福岡ドーム(現ヤフオクD)で舞った。日本ハム戦の7回、小久保が同点弾、8回に井口の決勝アーチで5―4とし決着をつけた。スポーツ報知が九州・山口で発刊して2年目。監督の胴上げを一面に据えて詳報、最終面は那珂川に飛び込むファンを取り上げ、チームやファンの歓喜を余すところなく届けた。

 

 ソフトバンクのルーツは1938年、全国9番目のチームとして誕生した南海。23年間にわたって指揮した鶴岡一人監督(一時山本に改姓)の下、50、60年代に黄金期を築いた。九州で再びリーグを代表するチームに育ち、今年でチーム誕生80周年を迎える。

1999年9月26日
1999年9月26日
2000年10月21日
2000年10月21日

2003年10月28日
2003年10月28日
2004年12月25日
2004年12月25日
2006年3月26日
2006年3月26日

常勝支える「Cの系譜」

 常勝と呼ばれるチームには、たとえ選手の顔ぶれが変わっても、どの時代にも通底する「強さの源泉」のようなものがある。ホークスのそれは、まぎれもなく王貞治会長が監督時代に築き上げたものだろう。

 

 福岡移転後初の日本一となった1999年。王監督はキャプテン制を導入し、秋山幸二を指名した。先を見据え、若い選手らに、37歳になるベテランから多くのことを学んで欲しかったのではなかったか。

 

 勝負の世界では、どんな名選手でも、いずれは肉体の衰えが訪れる。ただ、精神的なものは次世代へ引き継ぐことが出来る。先輩から受け取り、後輩へ受け渡していく。その道標となるのが、キャプテンの言葉であり、背中なのだ。

 

 胸に「C」を刻めるのは、想像を絶する重圧や責任感に耐えうる者だけだ。監督となった秋山は2009年、ベテランの小久保裕紀に「C」マークを託し、キャプテン制を復活させる。単に1年間ナインを引っ張って欲しいというだけでなく、連綿と受け継がれてきたチームの「魂」を、若い選手に伝えて欲しいという願いもあったはずだ。

 

 2011年。秋山監督、小久保キャプテンという体制の下、横浜からFA移籍してきた内川聖一らの活躍で、ホークスは圧倒的な強さで日本一まで駆け上がる。99、00年以来のリーグ連覇は、「受け継がれるべきもの」がきちんと伝承されている証明でもあった。

 

 小久保の引退後不在だったキャプテンを、15年から内川が務めている。ファンの記憶にも新しい昨季の日本一。その戦いぶりは、常勝軍団と呼ぶにふさわしいものだった。

 

 Cの系譜――。それはそのままC(チャンピオン)の系譜でもある。(加藤 博之)


ホークス80年の歩み

 1938年 南海鉄道が球団を結成し、9番目の球団としてプロに参入

 1946年 近畿グレートリングのチーム名で再出発。山本(鶴岡)監督で初優勝

 1947年 南海に戻し、愛称はホークスに

 1950年 2リーグに分かれ、南海はパへ

 1951年 機動力野球でリーグ初優勝

 1959年 38勝のサブマリン投手杉浦忠を擁してリーグ優勝、日本シリーズで杉浦が4連投、巨人を破り初の日本一

 1964年 野村克也が本塁打、打点の2冠、首位打者と盗塁王の広瀬叔功らの活躍でリーグ優勝。阪神を破り2度目の日本一

 1965年 野村が戦後初の三冠王

 1970年 選手兼任で野村監督が誕生

 1988年 オフにダイエーへの身売りが決定、本拠地も福岡へ

 1989年 新生ホークス始動も4位

 1990年 田淵幸一監督、93年からは根本陸夫監督が指揮

 1993年 開閉式屋根の福岡ドームが完成

 1994年 オフに王貞治監督が誕生

 1999年 ダイエーとなって初のリーグ優勝、日本一に

 2000年 リーグ連覇し、日本シリーズはセ優勝の長嶋巨人との夢のON対決

 2004年 松中信彦が三冠王。平成で唯一。オフにダイエーからソフトバンクへ

 2008年 オフに王監督が勇退、秋山幸二監督に交代

 2010年 残り6試合で西武との3.5差を追い上げ最終144試合目で決着。ソフトバンクとなって初のリーグ優勝

 2014年 最終戦でリーグ優勝が決定、日本一に

 2015年 工藤公康監督に替わり、リーグ連覇、2年連続日本一に

 2017年 2年ぶりにリーグ制覇し、通算8度目の日本一に

2008年10月9日
2008年10月9日
2009年9月14日
2009年9月14日
2010年9月24日
2010年9月24日

2012年10月9日
2012年10月9日
2015年9月7日
2015年9月7日
2017年9月17日
2017年9月17日

WBC 連続世界一に日本中が熱狂

 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が2006年から始まり、日本は第1回、第2回大会と連続世界一となり、日本中を熱狂させた。

 

 16の国・地域が参加した第1回大会。王貞治監督率いる日本代表は第2ラウンドで韓国と米国に敗れ敗退濃厚だったが、米国がメキシコに敗れて日本は薄氷の準決勝進出。ここで韓国に雪辱。決勝でキューバを10-6で破り、初代王者となった。

 

 09年は原辰徳監督が指揮。決勝で韓国を破り連覇を果たした。13年、17年の日本代表はベスト4。

2006年3月22日
2006年3月22日
2009年3月25日
2009年3月25日


世界で活躍! 紙面を飾った九州・山口出身の選手ら

 この20年、国際大会で多くの九州・山口出身の選手が紙面を彩った。

 

 オリンピック夏季大会は特にそう。2000年シドニー大会は、柔道女子48キロ級で福岡出身の田村亮子、男子100キロ級で宮崎出身の井上康生が金メダル。郷土勢の活躍は誇らしかった。08年北京大会では、福岡出身の上野由岐子が力投した女子ソフトボールの金メダルは今も鮮明によみがえる。12年ロンドン、16年リオ両大会の体操男子個人総合を連覇した長崎出身の内村航平の活躍は忘れられない。

 

 98年の発刊3か月後に開幕したサッカーのワールドカップ(W杯)フランス大会は日本悲願の初出場だった。02年は日韓共催大会。日本代表はロシア戦でW杯初勝利など1次リーグを首位で突破。初の決勝トーナメントに進み16強入りした。10年南アフリカ大会もベスト16。鹿児島出身の遠藤保仁が放ったFKは見事だった。

 

 15年のラグビーW杯イングランド大会は記憶に新しい。日本代表がW杯2度優勝の南アフリカに逆転勝ち。「スポーツ史上最大の番狂わせ」と世界を驚かせた。福岡出身の五郎丸歩がプレースキック時に行う“儀式”は話題になった。

1998年6月27日
1998年6月27日
2000年9月17日
2000年9月17日

2002年6月15日
2002年6月15日
2006年9月11日
2006年9月11日

2020年東京五輪へ 

 国内に目を転じれば、高校野球が紙面をにぎわす。07年夏は“がばい旋風”の佐賀北(佐賀)が全国制覇。09年センバツでは清峰(長崎)が頂点に立ち、一面を飾った。

 

 大相撲は福岡出身の大関魁皇が懐かしい。勝てば古里の直方市に花火が打ち上がる人気だった。16年初場所は、福岡出身の琴奨菊が日本出身力士では10年ぶりとなる賜杯を手にした。

 

 女子ゴルフは宮里藍の引退と入れ替わるように、鹿児島出身の勝みなみや沖縄出身の新垣比菜ら黄金世代が注目を集め、紙面を飾っていくだろう。

 

 センバツは発刊記念日の23日に開幕した。6月にはサッカーW杯ロシア大会が待っている。鹿児島出身の大迫勇也の活躍に期待がかかる。来年は日本でラグビーW杯があり、福岡、大分、熊本も会場だ。そして2020年の東京五輪。卓球では山口出身の石川佳純が3度目の挑戦で頂点を目指す。スポーツがもたらす感動は尽きない。これからも読者の心に感動を伝えていく。


2007年8月23日
2007年8月23日
2008年8月22日
2008年8月22日
2009年4月3日
2009年4月3日
2010年6月26日
2010年6月26日
2012年8月4日
2012年8月4日

2012年8月9日
2012年8月9日
2015年9月21日
2015年9月21日
2016年1月25日
2016年1月25日
2016年8月12日
2016年8月12日


公営競技 独自の視点で魅力を発信

紙面飾る女子選手にフォーカス

 レース面では、推理はもちろんだが、公営競技により親しんでもらうため、発刊時から連載やコラムで選手の横顔やいい話などを取り上げてきた。20周年企画で始めたボートレースの女子レーサー連載もその一環。高まる各競技の女子選手事情をまとめてみた。

 ボートレース 

20周年企画で選手の“素顔”紹介

QC最終日の紙面と女子レーサーを紹介した切り抜き
QC最終日の紙面と女子レーサーを紹介した切り抜き

 ボートレースの売り上げは回復傾向で右肩上がり。中でも女子レースは人気で売り上げも好調だ。

 

 20周年企画として昨年4月、女子レーサーを紹介する「LADIES BOATRACER(レディース ボートレーサー)」を本紙で始めた。1年のロングラン企画は、25日に計215人、全155回のゴールを迎えた。基本的なプロフィルや、趣味、目標などプライベートデータを掲載。食べ歩きや旅行、子育てが楽しいというママさんレーサーや、「趣味はボートレース。どんどんはまっています」と笑顔で答えてくれた長嶋万記(静岡支部)のような選手もいた。

 

 写真にもこだわった。趣味のヨガや釣りなどのポーズをお願いしたり、はやりのお笑い芸人の決めポーズを取ってもらったり。彼女らは快く応じてくれ、そのお陰もあって、通常のレース面では紹介できない違った表情を紹介することができた。

 

 ボートレースは体重の差こそあれ、男女が同じ条件で競う。今では1600人近くいる選手のうち、女子は200人を超えるまでに。レベルが高くなり、SGに出場する選手も増えてきた。小野生奈(福岡支部)は「女子の特別レースが増えたことによって、SGを走るチャンスが増えました。このような状況を作ってくれた女子レーサーの先輩方に感謝しています」と話す。ボートレースは華やかな時代を迎えた。 (長谷 昭範)

 ガールズ競輪 

「本命党」中心に売り上げ伸ばす

 一度は廃止となった女子競輪が2012年7月に復活した。その名も7車立ての「ガールズ競輪」。7年目を迎え、105人が在籍する。

 

 個々の実力差が大きいため、1着を並べる選手、そうでない選手に色分けがしやすい。そこが車券戦術の分かりやすさとなり、「本命党」を中心に売り上げは伸びている。

 

 他の公営競技と一線を画すのは、現役選手が自転車競技で五輪を目指しやすいこと。そこを意識し、使用自転車はカーボン製フレーム(男子競輪は鉄製)。さらに競技規則は国際ルールを基本とし、競走を行っている。

 

 現在、小林優香、太田りゆ、鈴木奈央、石井貴子らが東京五輪出場を目指して国内外を転戦。ガールズ競輪の知名度が飛躍的に上がるかどうかも、彼女らの肩にかかっている。

 オートレース 

選手増加 女子リーグ戦開催も

 オート界には2011年に佐藤摩弥、坂井宏朱(練習中に事故死)の2人がデビュー。実に44年ぶりの女子レーサー復活だった。13年に5人、17年に7人が加わり、現在13人が活躍している。

 

 “サトマヤ”こと佐藤はG2川口記念Vを含め優勝3回、現在は最高ハンデの格付けで男子レーサーと好勝負を演じている。飯塚33期の吉川麻季は「頭で分かっていてもレースに生かせない。難しいですね」と日々鍛錬に励んでいる。

 

 今年9月には34期生養成が開始。ボートレース同様、女子リーグ戦が行われるかもしれない。

 地方競馬 

男子顔負けの騎乗で奮闘中

 地方競馬の女性騎手は他の公営競技に比べて少人数。現在登録は、宮下瞳(名古屋)、木之前葵(名古屋)、別府真衣(高知)、下村瑠衣(高知)、岩永千明(佐賀)、竹ケ原栞耶(ばんえい)の6人。

 

 その中で、宮下は通算724勝(3月2日現在)を挙げて男子顔負けの騎乗をしている。また、女性騎手の頂点を決めるレディスヴィクトリーラウンドでは別府騎手が2年連続で総合優勝。人気が高まっている地方競馬をさらに盛り上げるために奮闘中だ。

これからもスポーツ報知をよろしくお願いします