【高校野球・大分】母校・津久見の校歌に胸熱く/記者コラム

昭和最後の夏以来、32年ぶりに決勝で津久見の校歌が鳴り響いた

みかんとセメント、野球のまち

 みかんとセメント、そして野球のまち――。リアス式海岸が連なる大分県南部に位置する津久見市。「津(港)を久しく見る」というのがその名の由来だ。津久見高校が夏の甲子園を制した1972年に生まれ、ここで高校を卒業するまでの18年間を過ごした。

 当時、同校を率いたのは名将として知られる小嶋仁八郎監督(故人)。52年に監督に就任、67年センバツで初出場初優勝、そして72年の優勝で春と夏に全国の頂点に導き、全国に「津久見」の名をとどろかせた。

 小さい頃の遊びと言えば、かくれんぼや缶蹴りではなく、もっぱら野球だった。市民の野球熱は高く、堤防などへ魚釣りに行くと、「今年はどげぇかのう」。「いいピッチャーが入ってきたらしいで」。おじさんたちは、釣り糸を垂れながら、いつもそんな話ばかりしていた。

 高校を卒業し、故郷を離れてからは「津久見」の知名度に驚かされた。初めて会う人に出身を聞かれ答えると、いつも決まって「ああ、あの野球の…」。そんな風にして、すぐに打ち解けた。若い頃、焼き鳥屋のカウンターで、野球の話で意気投合した人に、何度、生ビールをごちそうになったことか。

市民に愛された名将

 高校時代は野球部ではなかったが、いまでも卒業生の集まりに顔を出すと、決まって野球の話になる。1985年にKKコンビを擁したPL学園と演じた名勝負も語りぐさ。PLが初戦で東海大山形に29-7で勝利した次の試合で対戦したのが津久見だった。投手戦となり0-3で敗れる。

 勇退していた小嶋監督は当時、「もしPLと対戦して勝機があるとしたら、初戦か決勝戦」と対戦が決まる前から話していたらしい。「どんな高校生でも、その2試合は緊張するから」というのが理由だ。皮肉にも、対戦が実現したのは2戦目だった。

 他にも、名将の逸話は事欠かない。攻撃野球が代名詞のように言われるが、投手を育てるのがうまかったこと。ノックは神業級の腕前だったこと。何より抜きんでていたのは、抜群の勝負勘だったそうだ。市民に愛された「ニイちゃん」の銅像は今、津久見市民球場に置かれている。

 甲子園が中止となった今年、津久見が32年ぶりに夏の頂点に立った大分県の独自大会を取材した。母校の歓喜の瞬間に立ち会うことができた。カクテル光線の中、選手とスタンドが一体となって校歌を歌うシーンを見ていたら、胸に熱いものがこみ上げた。(加藤 博之)

(Web限定 2020/8/1更新)

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