【ボートレース】今村豊引退 レースでファン、人間性で記者魅了

今村豊引退に寄せて~井上が見た~
ラストランとなった徳山ダイヤモンドカップでもペラ調整に余念がなかった今村

時間あればターン練習した努力家

 10歳からボートファンだった私が念願の記者になり、初めてSGの取材をしたのは1990年の戸田ダービー(優勝は今村さん)。そこでいきなり今村さんの独占手記担当を言い渡された。その取材のために奥さんの真知子さん共々東京に招き、東京ドームでプロ野球観戦の後、赤坂のショーパブにご一緒した。

 入社1年目でまだ右も左も分からない駆け出しだったこともあるが、子どもの頃から憧れた偉大な選手を前に緊張して、ほとんど何もしゃべれなかった私に、今村さんの方が色々と気遣ってくれた。ドームの帰り、すれ違う人々が今村さんの顔を見て、「あっ」と驚く反応が誇らしかったのと同時に、プロ野球ファンの間でも、これほど認知されている人なのか…とうれしい気持ちになったことは今も忘れない。

 デビュー当時から「天才」と言われ続けたが、実は大変な努力家。レース場ではエンジンのそばから離れず、時間があれば水面に出てターンの練習をした。多い時は1日に30~40周も乗っていたというから驚く。弟子の白井英治らに「ペラのことはいいから、とにかくボートに乗れ」と指導していたのは、自分の経験に基づくものだった。

誰からも愛されたレジェンド

 当時のボート界はSGの大会数も少なく、ピット内は殺伐とした雰囲気で、トップレーサーたちは例外なく近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。しかし、今村さんだけは報道陣に怖い顔をすることは一切なく、いつでも誰にでも優しく取材対応してくれた。いつしかSGでは今村さんを中心に数十人の記者の輪が出来て談笑するのが恒例となり、時には同期の鵜飼菜穂子も顔を出して掛け合い漫才を見ているような楽しい時間を過ごさせてもらったことも忘れ難い思い出。

 成績が落ちた時や病気で欠場がちだった苦しい時期もそれを表情に出さず、常に周囲に気を遣う人柄は最後の最後まで変わらなかった。

 異次元の全速ターンでレースに革命を起こしたこともすごいが、記者の立場からはピット内の空気を変えてくれて、それが今、峰竜太や瓜生正義らに受け継がれているのが本当にありがたい。39年間、お疲れさまでした。(井上 誠之)

(2020/10/9紙面掲載)


https://www.seibuhochi.com/boat/20201009im2.html

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