別府競輪GⅢオランダ王国友好杯

(2019/11/29紙面掲載)

11月30日熱戦開幕 12月3日まで

なぜ、オランダなのか?

 別府競輪のGⅢ「開設69周年記念・オランダ王国友好杯」は30日から4日間にわたって開催される。直前の競輪祭で決勝進出の木暮安由、グランプリ優勝2回の実力者・浅井康太、ナショナルチームで活躍する松井宏佑をはじめ、九州勢は山田英明、地元の大塚健一郎と見応えのあるメンバーが集結。激闘が繰り広げられそうだ。別府の記念開催は今回から競走名が変わった。しかしなぜ、競輪場のレースタイトルに欧州の国名がついているのか? オランダと別府競輪のつながりに迫った。

オランダは運河や風車、チューリップが有名だが、別府競輪との結びつきは?
オランダは運河や風車、チューリップが有名だが、別府競輪との結びつきは?

▼GⅢに格上げ 冠名の由来は?

ボスも興味津々の様子
ボスも興味津々の様子

同国出身の猛者も興味津々

 昨年度までFⅠとして開催されていた「オランダ王国友好杯」は今年からGⅢに格上げされた。FⅠ開催だった頃から、「別府市と姉妹都市の協定を結んでいる町があるのだろう」とずっと思っていたが、そうではないようだ。

 

 なぜ、オランダなのか?

 

 競輪界でオランダといえば、同国出身のテオ・ボスやマティエス・ブフリだろう。ボスは9月の別府FⅠで完全優勝。準決勝ではバンクレコードを更新した。「大分は魚がおいしいね。オランダも魚料理が有名だから共通しているよ」と言うくらいだから、競走名の由来も把握しているはず。しかし、「オランダ王国友好杯は走ったこともあるよ。でも、どうして母国の名前がついているんだい?」と興味津々の表情で聞き返されてしまった。これは何が何でも由来を調べねば。

 

▼検索結果は「橋」と「郷土料理」

中津市の耶馬渓橋は「オランダ橋」と呼ばれている
中津市の耶馬渓橋は「オランダ橋」と呼ばれている

中津「オランダ橋」

 インターネットで「大分 オランダ」で検索すると中津市耶馬渓の「オランダ橋」と郷土料理「こねり」がヒットした。

 

 まずはオランダ橋を訪ねた。県北部の山国川にかかる長さ116メートルの石橋で正式名称は「耶馬渓橋」。8連石造のアーチ橋は耶馬渓の景観とマッチして風情がある。橋の手前にある看板には、長崎に多い石積み方式だからオランダ橋と呼ばれるようになったとある。中津耶馬渓観光協会に聞くと「オランダの国とは直接的には関係ない」。どうやら競輪ともつながりはなさそうだ。

 

 ゴーヤとナスを使った郷土料理の「こねり」は県北部の国東地方で「オランダ」と呼ばれている。日出町の定食屋「とおせんぼ」で特別に作ってもらった。

 

ナスとゴーヤをいためた「オランダ」
ナスとゴーヤをいためた「オランダ」

「こねり」の別名「オランダ」

 切った野菜とイリコをいため、水で溶いた小麦粉を入れてとろみをつける。カツオだしとしょうゆの味付けだがゴーヤの苦みはあまり感じず、ご飯のおかずにピッタリ。麦焼酎にも合いそうだ。店主の重石亜紀さんは「夏場は大皿料理で出しています。子供の頃から“オランダ”と言っていたけど、名前の由来は知らないですね」

 

誰かが“おら(叫)んだ”から

 後日、道の駅くにさきの「夢咲茶屋」に聞いた。諸説あるが、「叫ぶ」ことを「おらぶ」と言う方言がきっかけになったという。油を引いた熱い鍋に洗ったばかりのゴーヤとナスを投入したときに「ジャッ」と大きな音がする。その音を聞いた人が「誰かが“おらんだ”んじゃなかろうか?」と言ったからだとか。ダジャレが料理名になるとは。

 

▼1600年 大分県から始まった日蘭友好

日蘭友好の原点となった臼杵市の黒島
日蘭友好の原点となった臼杵市の黒島

リーフデ号が臼杵湾に漂着

 江戸時代はオランダが西洋諸国で唯一、日本と交易が認められていた。交流の歴史を調べると大分とのつながりが分かった。1600年にオランダ船「デ・リーフデ号」が臼杵湾に漂着したのだ。

 

 県東部・臼杵市の黒島にデ・リーフデ号の資料館があるというので訪ねた。佐志生(さしう)港から300メートル沖にある周囲3キロの島へは、渡し船で5分弱。海は透明度が高く、夏場は海水浴客でにぎわう小さな島だ。

 

 資料館や記念碑にデ・リーフデ号のことが詳しく説明されていた。1598年に5隻のオランダ商船が東洋貿易拡大のためロッテルダムを出港。途中、暴風雨や他国の襲撃に遭い、1600年4月19日にデ・リーフデ号の1隻だけが黒島付近に漂着した。

 

黒島の島内にはデ・リーフデ号の来日記念碑がある
黒島の島内にはデ・リーフデ号の来日記念碑がある

ウィリアム・アダムス 家康に見込まれ

 乗船していたウィリアム・アダムスは江戸に呼ばれ、後に徳川家康の外交顧問として活躍。三浦按針と呼ばれて生涯を日本で過ごした。うすきツーリズム活性化協議会の中野重二・事務局長は「アダムスが家康に気に入られたことが、鎖国時代にオランダが交易を認められたことにつながったのではと思います」。日本とオランダの友好の歴史は大分から始まった。

 

 2000年には日蘭友好400周年の記念行事が行われ、オランダの皇太子(現国王)が黒島に来島した。別府競輪ではこの年の4月にF1「オランダ王国皇太子杯」が開催されている。競輪場に当時の資料があるというので見せてもらった。

 

▼2000年「オランダ王国皇太子杯」開催

オランダ総領事館から届いた文書を手にする上田部長
オランダ総領事館から届いた文書を手にする上田部長

皇太子が自転車に興味 五輪も契機に

 別府市公営事業部の上田亨部長は「第1回の担当をしていたのでよく覚えています」と当時を振り返った。

 

 400周年記念事業の打ち合わせで大分を訪れた駐日オランダ大使が「自転車競技が盛ん」と自国の説明をすると、当時の平松守彦知事は「別府に競輪場がある」と紹介したという。オランダ皇太子が自転車競技に関心を持っていたこと、さらに2000年のシドニー五輪で「ケイリン」が正式種目に採用されたこともあり、記念事業の一環としてレースを開催することになった。

 

 皇太子を競輪場へ招待する計画もあったが現在のメインスタンド完成前だったこともあり、実現は出来なかった。第1回のS級決勝は売り出し中だった小野俊之と大竹慎吾の地元コンビを破った沢田光浩が優勝。競輪場には表彰式の写真も残されている。

 

国王に即位後「オランダ王国友好杯」

 「国の皇族から記念杯を賜るのは名誉なこと。県を通じて継続開催を頼みました」と上田部長。総領事館から継続を許可する文書が届き、毎年開催されることになった。その後、皇太子が国王に即位して「オランダ王国友好杯」と改称した。20回目となった今年、大使館の了承を得てGⅢに格上げされた。

 

 日本とオランダが最初に出会った大分の地で開催されるグレードレース。上田部長は「キングスデーのような盛り上がりを見せてほしい」。場内はオランダの象徴でもあるオレンジ色で装飾される。競輪でオレンジ色といえば…。決勝は、⑦番車から買ってみようかな。 (特別取材班)